Yanagy0084の日記

うつ体験、発達障害考察、コンピュータ関連の記事を書いてます

ASDとたとえ話

ASDの人は、たとえ話を理解しづらいらしい

 

1)たとえ話の仕組み

「AだからB」という文章に対して、「A」と「B」を、身近な言葉「A'」や「B'」に置き換える

身近なものに例えることで、元の文章が正しいと理解できる

 

例)

「野菜は洗ってから食べないと体に悪い」

「野菜は皮を剥いて食べないと体に悪い」

理由は「農薬や汚れが付着している可能性が高いから」

 

これを身近な例に例えたとする

「トイレに落ちた野菜は、洗ってからでないと食べられない」

「農薬や汚れ」を「トイレ」という身近な汚いイメージをもつものに変える

 

すると、

「トイレに落ちたものは汚いので、洗わないと食べられない」

「トイレに落ちたものは汚いので、洗っても食べられない」

と感じることができる

 

2)ASDの人の反応

元の文章「AだからB」が自分の理念、理解に反すると、「A’だからB’」もわからないらしい

 

例)

自分の理念、理解が、

「野菜は皮の部分が美味しいから、剥かないほうがいい」

だとすると、元の文章の

「野菜は皮を剥いて食べないと体に悪い」

が成り立たない

 

すると、たとえ話の

「トイレに落ちたものは汚いので、洗っても食べられない」

も理解できない

「洗えば食べられる、皮の部分を食べないのはおかしい」

となるらしい

 

3)考察

(1)ASDの人は、自分の考えが絶対である

・自己中心的な思考をする

・客観的思考ができない

・自分の考えが間違っていても、ルールとして定着しているので変えられない

 

(2)ASDの人は、元の話が納得できないと、たとえ話も納得できない

たとえ話の文章が客観的に成り立っていたとしても、自分の考えと異なると理解できない(受け入れられない)

 

(3)ASDの人は想像力が欠如している

普通の人は類似のものから、大体こんなものかな?と想像するが、ASDの人は未知のものをイメージできない

そのため、たとえ話の例え方が想像できないケースもある

 

例)

「トイレ」を更に汚い「ぼっとん便所」に変えたとする

「ぼっとん便所」が知識にないと、想像できない

するとたとえ話自体も想像できないらしい

「ぼっとん便所」を具体的に説明しても、想像力が欠如しているため、イメージできない

その結果、たとえ話も理解できなくなる

 

(4)ASDの人はなぜ、たとえ話が理解できないのかがわからない

本人は自分が知っている情報の中の例えならわかる

自分が知らない情報に例えられるとわからなくなる

この仕組みを認知できていないため、「例え方が悪い」と感じる

 

4)ASDの人に対するたとえ話の仕方

・元の文章について、ASD自身の考えが同意できるのか、出来ないのかを確認する

 同意できない場合は、例えても無駄

 同意できた場合は、次のステップに進む

・知らない言葉があった場合、ASDの人が知っている類似の言葉を確認する

・類似の言葉を用いて、同じ文章構成のたとえ話をつくる